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zoom RSS 箱の中の壊れた心  その7 『私』の箱 ”への三番”オリジナリティー A

<<   作成日時 : 2005/06/29 14:06   >>

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”への三番”オリジナリティー 
オリジナリティーを育てることになった要素の続きA(後半)です。(^_^;)
@(前半)のことがらから、
独特の価値観を持って育った私は、
周りの子供達とは少し違う子供であった気がする。

大人との接触が多かったことや、
虚弱体質で風邪で寝込んでいたことが多かったので、
従弟達のような騒々しさが無く、
母の教育方針から従妹とは正反対の性格など、
その頃の子供らしい従弟妹達とは私とは正反対であったこと、
洋服はいつも清楚な上品な可愛いものをと着せられていたから、
母の田舎でも近所の方が母の子どもの頃と似ているなどと私はよく褒められ、
家から出るとジュースをおよばれしたり、色々(お菓子など)頂きものを持ち帰った。
(緊張と緩和と、母の調教の上手さから褒められていただけなんだろうけどね。(^_^;) )
私一人、毎度何かを頂いてくるので、
なぜか母が羨ましかった叔父・叔母のくすぶっていた嫉妬心をあおってしまい、
私を育てた母へと嫉妬の矛先が向き、
母の些細な荒を探しては皆でこき下ろし話を盛り上げた。
この頃2〜3歳だった私も叔父・叔母に、
二つ上の兄と比べられたり、
一つ下の従妹と比べられ
「何でもできるとこれ見よがしに可愛げのない嫌味な子、
 おっとりとした○○の方が可愛い。」と言われたり、
何かある毎に、何か動くだけでも「自慢げな、性格曲がってる。」と言われるようになった。
幼稚園に入る前の4〜5歳の頃からこの当たりはキツクなり、
高校生にになるまで続いた。
 高校生の言える強さはなかったのか、
私が怖がられる高校生になっていたのかなぁ?(^_^;)
 (この話少し踏み込んだ話しは『箱の中の壊れた心  その3』で書かきましたが。)

私も非常に傷ついたのだが、
それ以上に母は傷ついていたのだろう、
今でも叔父・叔母達に弟妹だから切れない縁の悲しさに理不尽さを、
母も私も感じている。

子供ながらに母が可愛そうだと思ったが、
母も毎年お盆とお正月に集まる度に、
叔父・叔母に言われる毎に頑固になり、
特に従妹の親である母の弟夫婦は祖父母のお店を継いでいるので、
かなりキツイ当たりをすることへの対抗意識で、
「どこに出しても恥ずかしくない娘。」に絶対に育てると、
大きくなった時に立ち居振る舞いと性格がどちらが良い子か世間が判ると、
私の躾を強化した。

 ”叔父・叔母の攻撃対象の箱”に入れられた母と、
そんな大人の理不尽な母への攻撃に、
幼いながらに「どうしてお母さんいじめるの。」と抗議してしまった私は、
叔父・叔母に会う度に、
”淋しさのはけ口の箱”をかぶせられるようになった。
母がなぜ厳しくなったか、
今書いててこの事が原因と今頃になって気が付いたわ・・・。(^_^;)

 私が3〜4歳頃だったか兄が褒められたことを、
子供心に自分の褒めてもらえるかとマネをしたら、
(子供がよくする一般的な行動なのだが。(^_^;) )
「自分の方ができると思われたいの?嫌な子!良い子ぶって。」と、
叔父・叔母達によってたかって初めて言われた時は、
この世が終わってしまったかのようなショックだった。
まだ無垢な素直な心の子供だったから逃げる術を知らなくて、
呆然としてそこに居るのが耐えられなくなり祖父母の家を出て、
家の前のトラック・ダンプカーなどの交通量の多い横断歩道も無い国道を渡り、
細いスロープから大きな川の河岸まで降りて、
岩場に作られた階段状の場所の一番水面に近い所に座り水面を眺めていた。
(河原は対岸であった・・・。)
祖母がその頃独身の母の妹と必死で1時間以上探したそうで、
ふと何かを感じた祖母が、
国道を渡り目の前の河の岩場を見下ろし私を見つけ、
普段穏和な物静かな祖母が上の国道のガードレールを両手で掴んで握り締め、
「○○!!動いちゃだめ!!」と私の名前を叫んだ。
母の妹に私を走って迎えにこさせて、
真っ直ぐ前を見据えたまま、
私の手を無言で痛いほど強く握り締め、
「絶対ダメ!!何があってもダメ!!」と押し殺したように1度言い、
私の手を握ったまま真っ直ぐ前を見て念じ続ける祖母の心の叫び、
祖母のエプロンの模様と強く握られた祖母の手と白くなっている自分の手と、
下から見上げた涙をいっぱい溜めた祖母の顔。
家に戻り事の経緯を私と母の妹から聞きき、
「○○にもし何かあれば、産んでくれたお母さんがどれほど悲しむか!
 親はどれほど子供を大事と思っているか解る!絶対親に心配かけてはいけない!」
「私と一緒でないと国道を渡ってはいけない!!」と、
痛いほど私を抱き寄せ静かに泣いている祖母に約束させられた。

落ち着いてから聞かれても、
トラックが横を通る度に風で飛ばされそうになる国道と、
なみなみと黒くうねる河岸の水は、
大人がいても私だけ、(用心深く?、案外怖がりだったから?)
押しボタンの有る横断歩道まで行ってしか絶対渡らないし、
従弟達が面白がっても河面には近づかないほどいつも怖がっていたのに、
どこをどう歩いて河岸に降りて座っていたのか・・・、今でも全く思い出せない。
ただ覚えているのは、
家を出た時左を向いて涙が溢れて止まらずに見た光景と、
ただ水面がキラキラと眩しく美しく輝いていたこと、
大きなカラスアゲハ数尾が手が触れるほど近くをずっと飛んでいたこと。

真っ直ぐ前を見据え唇をしっかりと結び目に涙を溜めた祖母の顔、
声にだしていないのに心の中で「何があってもダメ!!」と叫ぶ祖母の声と、
「何があっても、あなたはあなたなんだから。」と押し殺した声で言った事を、
八百屋さんをしていた祖父が夜7時頃帰宅して祖母から話を聞いたようで、
「何があっても、何がどうなっても○○は○○はだ。
 誰かが何を言っても、変わることは無い。
 嘘が無いことを自分の心が一番良く知っている。真っ直ぐだよ。」と祖父が言ってくれたこと、
今でも鮮明に覚えている。

それから、(~_~;)
「大騒ぎして注目を浴びたかった。人騒がせな子。」とボソリと言った叔父・叔母の言葉。
祖母に驚くほど心配をかけたことの罪悪感の方が大きかったので、
不思議と「この人達やっぱり言った・・・。」と思っただけだったこと。(~-~;)
初めて自分のした事で大人を「大好きなおばあちゃんを」泣かせたしまったことが、
自分の悲しさよりも大きなショックだったから。

母が死ぬほど心配するのでその時お店を手伝いに行っていた母には言わず、
祖父母の心の中に留められたようで、
この事は私が大きくなってから話すまで母は知らなかった。
いつもは早々に母に言う叔父・叔母達も、なぜか言いつけなかった。(~_~;)

その後叔父・叔母達に、
母のこき下ろしをする度に抗議し、私が何かいう度する度に、
「お前は性格が曲がっている。」と私が言われた時、
祖父母の顔を見ると静かに優しく笑って、
心の中で「何がどうあっても、お前はお前なんだよ。」と言っているのが目で解った。
叔父・叔母の手前、
「また取り入って。」と余計なトラブルの元となるので、
特別親密に話をすることは暗黙の了解でしなかったが、
祖父母と心でしっかりとこれまで以上に繋がっていることは良ぉ〜く解った。

娘の言い分・母親のプライドみたいなもの(私にも解る。(^_^;) )もあり、
私と祖父母とのこんな話が出ると、
「祖父母も、お父さん(我父)も自分をかばってくれなかった。」と、
今でも母は少しすねて愚痴るが。(^-^;)

 こんなことがあってから子供なりに、
理不尽な”叔父・叔母の箱”や、
頑固な”母の箱”からすり抜けるように、
1度叱られたことは2度としない、
なるべく兄と比較されないように、
従妹と比較されないように従妹を促し褒められるようにしたり、
誰かの足を引っ張るのでは無く、
縁の下からセッティングして誰かを持ち上げることで、
自分が目立たないように裏方に徹すること、
誰も叱られないことで皆機嫌が良く、
自分も叱られない母も傷つかない、
祖父母を心配させない最良のトラブルを避ける方法だということをこの頃身につける。

性格が曲がらないこともだが、
何よりも「自分を信頼してくれる相手に心配をかけてはいけない。」ということが、
自分のやったことで大人を泣かせたことがよほど応えたらしく大きかった。
『三つ子の魂百まで』と言いますものね。(^_^;)
それに何時からか、父も「お前はお前だ。」とさりげなく言うようになっていた。

しかし叔父・叔母達の影響は大で、(~_~;)
「意地でも絶対曲がらないぞ!!自分の心に正直でいるぞ!!」と心に決め、
祖父母の心と言葉を支えに、私認めて愛してくれ信頼してくれる人の温かさを支えに、
母の信念を守るために、何があっても「私は私でしかないのだ。」と、
幼い時から自我の強い子供らしくない頑固な私が育っていった。 (^^;ゞ

大きな負の力とそれをカバーする温かい正の力と、
大きさがつり合っていたから曲がらずに、
その後の人生をスパイスにオリジナリティに磨きがかかり、
私は大人になっていったようである。 (^-^;) (他人事ぉ〜。)

母がこれを書いたのを知ったら、
「私の育て方が間違っていたのか!」と泣くだろうけど・・・、
叔母(母の妹)は「古い話を恨みがましい。しかも公の場で言う事ではない!」と言うだろうが、
恨み辛みの暴露?そうじゃないんたんだよ。(^_^;)

ここまで大人の”ええ年のおばさん”になってるのに、
育て方間違ってたなんて言われる方が傷つくんだからぁ、
この育て方があったから今こうして、
のん気に雑草のごとく生きていれるんだよね。(^・^)
で・・・また、「雑草って、どこに出しても恥ずかしくないようにと育てたのに・・・。」と、
お嬢様気質の母は嘆くだろうなぁ・・・。(^_^;)

普段大雑把で公開してから、
こんなこと小さく気にする変な神経質さ・・・。(^_^;)
まだあったのねぇ〜。なはははぁ〜。(^o^;)
気配りと呼んでおこう・・・。(どこが?(-_-;) )

自分を見直すために書こうと思ったけど、
自分を書くに当たり回りのことも書かなきゃ、
私というものの成り立ちが書けない・・・。
なんせ人に育てられて生きてきましたから。<(_ _)>
書くのをためらって数年・・・、
「これも自分です。<(_ _)>」と書いてますが・・・。(^_^;)
私の中での母は理不尽と面白さとが絶妙のバランスなんだねぇと、
書いていて不思議な母だと思った。

複雑が絡み合ってできたオリジナリティ溢れる、
自我の強い頑固な?『私』の箱 ”の三番”の話しでした。 <(_ _)>

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