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zoom RSS 箱の中の壊れた心  その7 『私』の箱 ”への三番”オリジナリティー @

<<   作成日時 : 2005/06/29 14:05   >>

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”への三番”オリジナリティーの生まれる経緯を書いたら、
長くなったのでブログの文字数の関係上、
@・Aと2部構成となってしまいました。(^_^;)
と前置きをしてから、私の内面”への三番” @(前半)へ・・・。

『私』の箱(私の内面)の
”への一番”
 生きてることだけでもラッキーな人生で、 生きる術を身に付けながら鍛え抜かれた?
 案外強い精神力と性格。
 壊れていると言えば言えるけれど、
 なぎ倒そうと誰かがしても折れないで、
 シナってもシナった分だけ勢い良く戻る青竹のような、
 へこたれない打たれ強さ。
 
”への二番”
 アッケラカンとした性格と妙な正義感?と野性的?状況判断能力と、
 ちょっと頑固な社会的常識感と仲間意識の強さを持った体育会系の性格。
 目立つ事を好む訳では無いが、
 いわゆる(隠れ)姉御肌?的性格。 (^_^;)

自己分析していくと幾つあるのだろうなぁ〜。
これまで、
今回のように徹底的に?
客観的に分析したことないから・、
自分でも予想できませんが・・・。
次はこれから話す”への三番”。(^_^;)

 最近では年とともに母もアバウトな性格になってきたと思うこの頃ですが、
若い頃は割と完ぺき主義的な母の元、
母の”理想の娘”と言う定規で私は行動を測られながら育ったせいか、
妙に神経質な部分も隠れて持つ性格。
(年と共に初々しさも無くなって、
  だれぇ〜っとしてこの部分は薄れてきた気がするが。(^-^;) )


 前にもちょこっと書いたかなぁ?
近所には男の子が多かったせいか、
母と仲が良かったおばさん達の子供が男の子ばっかりだったせいか、
(女の子が珍しいからか・・・?)
子どもの頃はまあまあ可愛いと言われたこともあり、
近所の写真家のおじさんが写真を撮ってくれ、入賞したと写真を頂いたり。
今となっては栄光の?貴重な時期?・・・、
年寄りが栄光の若かりし頃を懐かしむようにまた書いてますが。(~_~;)
40歳の現在では可愛さは見る影も薄れ?(無い?)ては、
来てますが。わはは・・・。(^o^;)  

母は子どもの頃のそんな私が案外自慢だったようで、
近所の数少ない他の同じ年の女の子とは違う、
誰も着ていない(基本的にはオーソドックスな)物を手作りしてくれた。
買った服でも何か手を入れて誰も同じ品は着ていないものに変えた。

ブラススは白を買って必ず襟に刺繍をおいてくれたり、
レース糸で襟に縁取りを編んだり。
巻きスカートが流行れば、
無地のちょっと濃い目のベージュを買い、
縦横のスカートの縁に連続した刺繍をおく。
スカートも無地の物を買い、変化させた。

皇太子と美智子様のご成婚で、
楕円形の頭に載せるビーズなどで飾られたヘッド・ドレスのボンネを見て、
私の冬の帽子にオリジナルデザインを考え編んだり。
母の夏物ツーピースを作った残りの生地で、私のワンピースをお揃いで作ったり。
気に入った生地を見つけると、
タップリとした上品なちょうちん袖のワンピースを作ってくれたり。
高級子供服店のショーウィンドウで気に入ったデザインを見つけると、
私に似合う色の生地を見つけ作ったり。
兄はシャツ、私はワンピースとデザイン違いのお揃いを作ったり。

幼稚園に入る時には、
エプロンのポケットやコップ入れやハンカチなど、
私の全ての持ち物に刺繍がおかれていたり。

フェイクファーや毛糸で編んだ狐のマフラーが流行ると、
子供だから白いモヘアを長目のループ状に編んでふかふかの狐の毛のようにし、
目はその頃は珍しいテディベアのリアルなガラスアイを探してきて作ったり。
小学生の頃にロングのマフラーが流行った時は、
誰のマフラーより長いオシャレな模様編みで編んでくれた。
毛糸の物は小学6年生になるまで、既製の品は着たことがなかった。

私が着ている服には全てと言っていいほど何か手が加えられていたので、
子供会も参加の町内の草むしりがあった時に、
近所の同世代の女の子の親に、
「こんな時にまでオシャレして来なくてもいいのに。」と言われたりもした。
その時着ていたのは私には運動着であったので、
何を言われているのかピントこなかったのだが。(^_^;)
汚れても良い服と着せられていた物にも勿論、
(襟と前身ごろのボタンホール部分に)刺繍がされていたからなのだ。

その頃は母がやることは当たり前のことと私も素直であったこと、
私にとっては母が作る・一手間加えるた服が普通だと思っていたから、
流行に流されないオリジナリティーのある子供に育った。
またそんなオリジナリティーのある私を、
近所のおばさんおじさん達も近所の子供達も、
認めてくれて可愛がってくれたので、
私は素のままでのびのびと、
人々と自然が豊富な近所の恵まれた環境の中で毎日を過ごした。

 母の教育方針だが、
躾は私自身の将来にプラスになることだからと厳しく、
挨拶と女の子は愛想良くと言われていた。
その上、
兄弟の真ん中で要領が良いのかあまり騒がず叱られない、
父が良く自分の友人達との私を集まりに連れて行くので、
大人の中でいることに、
大人の世界での作法などに妙に慣れている子供だった。

不思議なことですが、
かなり厳しい育て方だったと今でも思うのですが、
母のオリジナリティ溢れる大陸生まれの性格が、
緊張と緩和と言うのでしょうか。

エピソード1?とでも言いましょうか。(^_^;)
前田びばりさんのビキニ姿を初めて目にした時に、
ピンクと白のサッカー生地だったと思うのですが、(洋服の残り布だったと思うのですが)
母はお手製のフリル付きのビキニを作り私に着せた。
よく夏場遊びに連れて行ってもらった、
近くの山間のハイキングコースの横を流れる小川で行水していると、
ハイキングの人達が通るとビキニ姿の女の子が珍しいのと、
2〜3歳と小さい子供の特権で「可愛い〜♪」口々に微笑んで声をかけてくれると、
前田びばりさんがポスターでとっていたポーズを教え、
ハイカーが通る度に「ほら、ほらポーズぅ〜♪」と私に声をかける、
ポーズを取ると「可愛いぃ〜♪」と益々歓声が上がるのを見て楽しんでいた。
厳しい反面、
非常に面白い母でもある。 (^-^;)
私の遊び心は母譲り?(^_^;)

オリジナリティ Aへ続く

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